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ブーゲンビリアを発見したのは誰ですか



HP編集略号bougainvillea2.html

和名: イカダ・カズラ(筏葛)

英語名:Bougainvillea タイ語名:Fuan Faa
改編:2011年3月20日 初稿:2011年3月20日 撮影:タイ国内の各地


 アメブロの拙ブログで、“ ブーゲンビリアの名前の由来 ” に触れたところ、熱心な読者の方からメッセージで

御指摘を頂戴しました。その時の拙ブログの記事内容は下記のような内容でした。




  西暦1767年頃、フランス海軍の艦長だった Bougainville 氏は、世界一周航海の途上に寄港したブラジル
  で新種の植物を発見。 この新種植物名は、Bougainville 氏の名前をとって、ブーゲンビリアと命名されました。



この記事に対して頂戴した御指摘は次のような内容でした。 


  Bougainville 氏が新種の植物を採集した場所は、ブラジルではなく、南太平洋ソロモン諸島の北西にある小さな
  無名の島でした。 Bougainville 艦長の功績を讃えて、次のように命名されました。

  新種の植物名は
ブーゲンビリア、島の名前はブーゲンビリア島、島周辺の海溝名はブーゲンビリア海溝です。

  Bougainville 氏は、ブラジルにも間違いなく寄港しています。しかし、彼が新種の花を発見した地をブラジル
  とすると、植物名、島名、海溝名の脈絡性が無くなってしまいますね。


読者の方の説得力ある御指摘に、心底感服してしまいました。


 『 ブーゲンビリア氏がブラジルで発見したブーゲンビリアの花 』 となれば、たしかに何の面白味もない話に

なりますし、一気通貫の筋道がすべて崩壊してしまうことになりそうです。深く追及もせずにブログ記事を書いた

反省の気持ちも込めて、Bougainville 氏のことを、もっと詳しく紐解いてみたくなりました。


バンコク・シリキッツ公園のブーゲンビリア     チェンラーイの寺院遺跡のブーゲンビリア


 Bougainville 氏は、時代も識見も人間としての格も器も、当然ですが、僕とは全く異次元のフラス国の偉人です。

しかし、その昔に外航船に乗船していたことのある僕としては、ブーゲンビリア艦長の輝かしい乗艦経歴に興味

がつのります。


 Bougainville 氏の若かりし頃の意外な経歴を知って吃驚です。青年時代のBougainville氏は、 パリ高等法院で

青年弁護士として働く傍ら、若干25歳で 『 積分論 』 を出版して英国王立学士院の会員として推挙されるなど、

法律学と数学で秀でた才能を持つ青年学者として、高く評価されていた御仁でした。


Bougainville 氏

  ■ 氏 名: Louis Antoine de Bougainville 
  ■ 国 籍: フランス   
  ■ 生 誕: 1729年11月   
  ■ 死 去: 1811年 ( 享年81歳 )


  日本史に当てはめると、第 8代将軍の徳川吉宗の治世に生まれて、

 第 11代将軍の徳川家斉の治世に身罷れたフランス人の法律家、数学家、

 そして海軍の航海者でもありました 。



 ところが、彼は象牙の塔に篭るような青白き学者ではありませんでした。 名誉ある英国王立学士院会員に

推挙されて2年後の27歳の時、突如として象牙の塔を飛び出したて、仏国軍艦に乗艦するのです。


 風力だけが頼りの命を賭けた世界一周探検艦隊に乗り組み、新種のブーゲンビリアの花を発見して命名し

た程の人なので、きっと強い博物趣味を持つ御仁に違いないと思ったのですが、調べてみれば意外や意外、

そうではありませんでした。


 ブーゲンビリア氏は、フランス国家の威信をかけて編成された世界一周探検艦隊の艦長兼隊長として選抜さ

れ、晩年には、フランス海軍ブレスト基地の副提督にまで出世したエリート軍人だったのです。 フランス海軍

における彼の軍歴を拾い出してみましょう。


■フランス国の海軍として初の世界一周航海を成し遂げた Bougainville 氏の年譜
1756年 Bougainville 氏、仏海軍のカナダ派遣軍司令官の副官となる。 27歳
1766年 Bougainville 氏、仏国として初の 『 世界一周探険隊 』 の 艦長 兼 探検隊長に就任。 37歳
1767年
世界一周探険航海の途中に寄港した、“ブラジル” の山野で、後年になって “ ブーゲンビリア ” と 名付けられた新種の植物を発見。

38歳
1768年
南太平洋のソロモン諸島の北西端で新島嶼・ブーゲンビリア島を発見。新島嶼周辺の海溝にブーゲンビリア海溝の名前が付けられる。

39歳
1769年   
フランス国として初の世界一周を成し遂げてフランス・ブルターニュのサン・マロー軍港に凱旋帰港。フランス国民から大歓迎を受ける。

40歳
1771年   
自著 『世界周航記』を出版。南太平洋の島々の文化を紹介。欧州の人々から脚光を浴びる。
42歳
1789年 Bougainville 氏、フランス最大の海軍基地(ブレスト)の司令官となる。 59歳
1790年 Bougainville 氏、フランス最大の海軍基地(ブレスト)の副提督となる。 60歳
1811年 死去。 81歳


 上掲の履歴によると、新種の花 “ ブーゲンビリア ”の発見はブラジルとなっています。そして、ブーゲンビリア島と海溝

の発見は、翌年の1768年となっています。


 『 新種の花、新海溝、新島嶼 』 に命名された 『 ブーゲンビリア 』 の呼称は、ブーゲンビリア艦長の業績に対して命名

された事は、何の誤謬もないようです。但し、ブーゲンビリアの発見をブーゲンビリア島とする説は、年代的に無理があり

ます。やはり、新種ブーゲンビリアの花の発見地は、ブラジルで間違いないようですね。


チョンブリー・ノン・ヌッツ公園のブーゲンビリア バンコク・スィリキッツ公園のブーゲンビリア


 過去の資料を検索していると、次のような資料がありました。

 新種ブーゲンビリアの花を発見した後に登録申請したのは、フランス探検艦隊の艦長 兼 隊長のBougainville 艦長

ではなく、同艦隊に乗り組んでいたコメルソン船医兼薬剤師だったのです。



コメルソン医師
  当時の船医は、治療で薬草を使うために、高度な植物学知識を必要としました。

 フィリベール・コメルソン医師(左写真)は、高名な植物学者でもあった訳です。


  船医としてフランス探検艦隊に乗艦。航海先の南米や南太平洋諸島で、

 ブーゲンビリアを含む3000種以上にも上る新種植物を発見・登録しています。

 その中には、誰もが知ているペチュニアの本種の白い花も含まれています。


  今後、ブーゲンビリアや白花のペチュニアを見ると、コメルソン医師の風貌を

 思い浮かべそうです。


 ブーゲンビリアの花を発見した博物学者のコメルソン船医は、その登録申請で、親友でもあった艦長への感謝の

気持ちも込めて、学名として、Bougainv Spectabilis Willd の命名をしたのだと思います。


 そんな生真面目なフィリベール・コメルソン船医に関する話として、三文週刊誌が喜びそうな艶っぽいエピソードが

残っていました。 その話は次回ということにしましょう。


《ブーゲンビリアの植物分類名》
 学   名  Bougainvillea Spectabilis Willd 
 科   名  オシロイバナ科   Nyctaginaceae          
 属   名  ブーゲンビリア属   Bougainvillea         
 英   名  Bougainvillea
 和   名  ブーゲンビリア、イカダカズラ(筏 葛 )、九重葛
 タ イ 語 名  Fuan Faa    意訳:天空に向かって咲き誇る繁栄の花     
 中国系タイ人   Trut Jiin     意味:中国正月の春節 
 分   類  非耐寒性、ツル性低木     
 原 産 地  中央アメリカ、南アメリカ
 花 言 葉  情熱、魅力、貴方は魅力に満ちている。 



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